F-16's Page
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Insignia of 192nd FW
後にこの”The Boys from Syracuse”というネーミングがセクシェルハラスメントとの関連で 廃止され、シラキュースの文字とコブラのデザインになってしまった。
 どうも 州空軍最初の女性パイロット ジャクリン・パーカー少佐が1995年部隊内でのセクハラが原因で部隊を去った際、Boysとついた部隊名が起因してのセクシャルハラスメントだったらしく、この事件で当時の司令官 副司令官が解任されたようである。 

イラストではご紹介しないが、このマーキング以外にコブラの部分が薄いグレー色のロービジタイプもある。ブロック30を使っている時期が長かったが、一時州空軍の再編で 1999年から5年間 ブロック25に戻された時期もある。138th FSの司令官指定機だったF-16C 85-1561 

このページでご紹介するのは、バージニア州空軍のF-16である。バージニア州の州都リッチモンドは、ワシントンD.Cの南200マイルに位置する所で、人口約100万人のアメリカ東部色濃い町である。イギリスからの移民が主流のアメリカ東部では、イギリスの町名が多く付けられている。これはアメリカだけではなく カナダ、オーストラリアも同じである。リッチモンドという地名もこれら各国に存在する。この町は南北戦争 南軍の拠点だった町で、保守的な色合いが強いと言われているが、比較的裕福な人が多く住み多くの著名人がここで生まれている。
 州空軍は192nd FW149th FSのF-16C/Dが、現在の主力である。F-105のページでも紹介したパーソナルマーキングで有名な飛行隊であったが、A-7D時代まででF-16Cになってからは見かけない。第149戦闘機中隊の歴史は,第U次大戦時にP-47サンダーボルトを受領した時から始まるようなので比較的古いようである。ANGの飛行隊として1991年はじめてF-16C/D型を受領した飛行隊として記録されている。今のF-16Cは、尾翼のチップに”VERGINIA”と入れたシンプルなマーキングであるが 全機がカラーチップを入れて綺麗であった。その後192nd FWは、ラングレーの1st FWと共同使用によるF-22Aラプターへの変換を行っている。アソシエイト部隊(ACCとの共同運用)ながら初めて州空軍でF-22Aを使用した部隊となった。(2006年7月 記) 

航空団、飛行隊そのものの創設記念は、1997年の100周年で上のようなマーキングが施された。”Flying for freedom" なんて格好いい文言が尾翼付け根に書いてある。F-16C 86-0216 飛行隊がF-16Cを手放した後 この機体は、テキサスのリザーブ飛行隊である457th FSに移動している。

WWU時代の第352戦闘機グループは、対ドイツ戦で数多くの戦歴を残している。この352ndFGの流れをくむのが 現在の192nd FWだそうだ。特にP-51ムスタングで26機の撃墜記録を持つプレディ少佐は、当地では今でも戦友会の人共々英雄として尊敬されているそうである。そのプレディ少佐(Major George Preddy)の最後の機体をF-16 86-0244に再現したのがこれだ。私がオシアナ各軍基地で撮影したのは、1パスのみで右側面しか見てないが、左右マーキングが若干異なる。左手には、彼のパーソナルマーキングであった ”Cripes A’ Mighty"の文字が入っており、当時のP-51ムスタングのカラーリングを再現したものである。尚 少佐自身は、1944年のクリスマスの日にドイツの対空砲によって撃墜戦死している。蛇足ではあるが この塗装ラングレーのF-22Aにも継承されている。

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192nd FW
ニューヨーク州空軍の第174戦闘航空団(174th FW)をご紹介しょう。一般に知られるニューヨーク市は、このニューヨーク州5大都市の一つである。アメリカ合衆国の北東部でナイアガラフォールも近い、冬は相当な寒いところである。”ヨーク”という単語は、イギリスの公爵の位であるヨーク公から来ている。ヨーク家というのは元々イギリスの王家の一つであるが、この王族の中 清教徒革命で処刑されたチャールズ1世の息子ヨーク公ジェームズ(ジェームス2世)がオランダから奪い取った植民地エンパイヤ・ステートが、イギリスの植民地に変わったときにヨーク公の名前をとってニューヨークとなったものである。ヨークという名は、イギリスの戦艦にもよく付けられたが、ヨーク公は軍人としても素質に優れ勇敢な人物であったことから人気が高い様である。此処の州空軍は長い期間F-16A/BからC/D迄を使用し、その期間は1989年から2009年までの20年間に及ぶ。 
174th FW
第174戦闘航空団(174th FW)は、1947年10月にニューヨークで創設され P-47サンダーボルトを受領して活動を開始した。第二次大戦以後は、州空軍として最初のジェット戦闘機F-84Bサンダージェットを受領して、ニューヨーク・ハンコック飛行場をベースにした。上のF-16尾翼付け根の書かれている”The Boys from Syracuse"は、1958年にこの部隊の司令官カーチス・ウィン大佐が名付けた部隊の愛称で、シェークスピアのコメディー「間違い続き」に出てくるシラキュースの商人の双子の息子に由来しているらしい。1979年からA-10サンダーボルトUを使用開始、この間でずっと配備機種は”サンダー○○”続きである。
 F-16Aに更新したのは1988年で、1990年からの砂漠の嵐作戦ですぐにサウジアラビアに展開。湾岸戦争中最も活躍した州空軍の部隊と言えよう。1400以上の作戦出動をこなし、戦争中の総出動飛行時間は3400時間にも及んだ。イラクが放映したテレビ放送でF-16が撃墜されて 市街地に機体を曝しているシーンが記憶にあるが、尾翼からこの部隊のものであったは戦争の現実を見た感じだった。しかし、撃墜されたものではなく 機体故障による墜落で、パイロットは救助されたそうだ。それが幸いである。
セクハラ事件のイメージを一新して、尾翼にシラキュースのコブラを描いた新デザインであったが、この部隊も2010年2月F-16C Brock30を手放し 無人偵察攻撃機MQ-9A リーパーの運用部隊に転換した。ユニークなマーキングであった為 少々残念ではあるが リーパーになって ”Syracuse”の帯入れたようだが コブラのマーキングは書かれているのだろうか??
恐らくコブラが尾翼に書かれて最初のボスバード(司令官指定機)F-16C 83-1155で、1990年代後半に確認されたマーキングの再現である。マーキングの特徴は、シリアルナンバーが ライトグレーで胴体後方い書き込まれた点である。

2012年 部隊は、すでにリーパーの運用に転換中であったが この飛行隊最後のボスバードとして 分解移動される前のF-16C 85-1570のマーキング。この緑のコブラマーキングを施された機体は、上で紹介した83-1155を含み 少なくとも3機が確認されている。

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